カフェ俺な日常

書きたいことを書く

それは当たり前なこと。

 

 

先週の日曜日に祖父が亡くなった。

と書くとなんだか重い話だと思うが、

気軽に読んで欲しい。

 

祖父の身体には三つの癌があった、その中の一つに肝臓があった。手術しなければ、一年程の寿命だった。

 

三ヶ月前、祖父は自分で病院を選び、自分で手術を受けることを決めて、説明した。

(こういうとき祖父は頑固なので、決めたことは譲らない)

話によると、一週間ほどで退院できるほどの手術であるらしかった。

 

 

その時には俺が筑波大学に行くことは決まっており、祖父は、退院したら、筑波に行かせてくれと言っていた。夏はみんなで旅行に行こうとも話した。祖父が治るのは当たり前だと思っていた。

 

 

 

が、手術が長引いたせいか、術後の調子が良くないらしい。どうやら肝臓の働きが悪いようだ。入学する頃には退院しているはずの祖父を置いて、筑波に出てきた。

 

ゴールデンウィーク帰省した時まだ入院していた。すごく痩せていた。けど、祖父も誰が誰かは分かるようだ、語りかけには頷いていた。体調は良くなったり悪くなったりしていて、俺が見舞いに行くときはいつも悪い時だった。

 

6月7日木曜、兄貴から、あと三日もつかどうか分からないとLINEが来た。

とりあえず次の日三重まで行った。

 

9日土曜、祖父とあったが、苦しそうだった。痩せていた。体温が異常に低い。足はずっと動けてないのでパンパンにむくみ、肝臓が悪いので、全身真っ黄色だった。

日曜予定があったので、土曜筑波に帰った。

 

10日曜、姉貴から祖父が亡くなったとLINEが来た。

 そうか。一言だけ呟いた。そう、うすうす感ずいていたのかもしれない。

 

祖母、母、姉貴は祖父が奇跡的に回復すると思っていたらしい、それはやはりあの社交的で明るい祖父だからだそうだ。

 

昨日の夜に三重にかえったのだが、死んでから、それまで、自分でもよく分からないが、なぜか悲しくなかった。というより、実感がなかった。涙は出ない。残るのは疑問だけ。

そもそもなぜ私の祖父が死んだのか。なぜ私の祖父なのか。なぜ俺のじいちゃんなのか。

 

 

今日、棺桶に入ったじいちゃんを見て、全てが分かった。理解した。悲しさ、悔しさ、怒りの感情の波が押し寄せた。堰が壊れ、溢れ出した涙は視界を揺らし、押し殺した声は喉仏を掻き分ける。押し寄せる感情、溢れ出す感情に頭がついていけなかった。

 

 

少し落ち着き、考える。

そっか、そっか、死ぬってそういうことか。

これからの未来の中のじいちゃんと過ごす日々がなくなったのか。泣きそうになる。

 

 

考えてみれば、死ぬことは当たり前なこと。

誰しも死ぬし、それがいつか分からない。

お坊さんは、これを機に死ぬこと、生きることについて考えてみなさいと言っていた。

 

 

結局、考えた俺の答えは、

死ぬことはエンターテイメント

なんだって。 

俺はエンターテイメントは心を動かすことだと定義してる。

人が死ねばそれは人の感情が動く。感情を動かすモノはエンターテイメント。だから死ぬはエンターテイメント。そういうことにしよう。

悲しさ、怒り、悔しさ、あるいは楽しさ、嬉しさ、衝撃。とにかく何か動くよね。

 

 

生きることなんて分からない。

が今は考えたくないので、

大好きな不可思議/wonderboyが歌ってることを、ひとまず参考にしようかな。

『生きる』

 不可思議/wonderboy

「生きる」 by 不可思議/wonderboy Track by Yuji Otani - YouTube

いい歌なので聞いてくれ。東北の震災の時に作ったらしい。

このアーティストはすでに死んでいてそれも何か感じるものがある。

 

なんだかなぁ。。。

頭の中はまだ整理できてないから、

言葉にするのは難しいね。

 

 

長文失礼。新幹線で書いていて、東京駅のトイレから送信しています。